<<インカ帝国の首都:Cuzco(クスコ)>>
ここクスコにも日本人専用のペンション「花田」がある。早速、訪ねてお世話になることにした。
部屋に通されると、「今、4人しかいない」と言われ、ベッドも自由に選ぶことが出来、アンデス越えの疲れを癒す為に、その日はとりあえず眠ることにした。翌朝、目が覚めると何とも言えないすがすがしい朝で、しばらく走らなくても良いというのは嬉しかった。
とにかく、ペル−アンデスでは天候の厳しさに泣かされ、悪路に泣かされ、そして、人々の温かさに泣かされた気がする。
クスコに来たかった理由はもちろん、古代空中都市「マチュピチュ」だ。別名「失われた都市」とも言われ、その昔、インカの人々が侵略してきたスペイン人から逃れる為に、クスコから100km以上も離れたこの地に要塞都市を築いたのだった。
マチュピチュが空中都市と言われるのは標高が約2300mの山の頂きにあり、周りも同じような尖った山々、周囲は断崖、熱帯雨林のジャングルに囲まれていて、下からは決して発見できず、空中からしか存在が確認できないところかららしい。
そんな要塞でさえも、インカ人たちは焼き払いさらに奥地に逃げ込んでしまったのだった。インカの謎の都市「ビルカバンバ」はマチュピチュではなく、別に存在するようで、インカの人々はどこへ行ったのかはまだ明らかにされてはいない。いつの日にか、スペイン人たちに報復を!と考えていたかどうかは分からないが、新たなインカ帝国建設を夢見て、奥地へ行ったのだろう。
1911年7月、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムはビルカバンバに関する古い記録−非常に高い山の頂きにあり、成功な技術で建造された壮大な建物がそびえたつ−をヒントに草に覆われた段々畑をよじ登り、山の上に広がった遺跡を発見し、クスコの街中ではすでに破壊されてしまって、見ることの出来ないインカ様式の建造物がそこら中に残っていたらしい。
その彼の名前をとり、マチュピチュにたどり着く為にある標高差400mの13回もくねくねと曲がった道を「ハイラム・ビンガム道」と呼ぶらしく、ここをまともに歩いたら上りはゆうに2時間はかかるらのでバスが走っている。
足がガクガクになるまで膝が笑ってしまうが下る方は可能で、それでもやはりしんどいと言う人はみんなバスに乗り、不思議な体験をすることになる。
バスが出発すると、何処からか「グッバ−イ!!!」と言う言葉が聞こえてくる。そして、一つ目のカ−ブを曲がり、二つ目を曲がろうとする頃再び、「グッバ−イ!!!」と聞こえる。そんなのが何度か続き、終点に近づくとバスに少年が乗ってきて一言、「グッバ−イ!!!」と叫ぶ。それで、バスに乗っていた観光客はみんな驚き、彼にチップをあげる。そんなこ
とでも商売になるんだと感心した。もちろん下りでの話で、さすがに上りではこんなことは出来ないだろう。彼らは通称「グッバ−イ・ボ−イ」と呼ばれ、「アディオ−ス!!!」、「さよなら!!!」という少年達もいた。彼らの稼ぎを見ていると、一人前の大人よりも稼いでいるんではないかと思うほど稼いでいるように思えた。
ちょっと、説明っぽくなったけど、マチュピチュに初めて辿りついたとき、辺りは一面霧に覆われていて、その姿があたかも雲の上に浮かび上がっているような感じで、まさに空中都市を思い起こさせてくれたが、霧が晴れるとそこには古代要塞都市の姿がガイドブックそのままの姿で存在していて、なんか拍子抜けした。
確かに世界中から観光客が集まって来るだけあって、多少感動はしたがマチュピチュはあまりにも有名すぎて、すでに見慣れた風景になってしまっていて感動が少なかった。
ナスカからここに来る途中にあった風景で何度、涙を流したか分からない。どんな素晴らしい景色も初めて見るのと、写真で見たことのあるものを確認するのとでは雲泥の差があるのは仕方がない。
マチュピチュはあまりにも有名すぎた。
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