<<何処までも深く青い母なる湖・チチカカ湖>>
クスコには3週間も滞在してしまった。居心地が良かったのか、旅に疲れていたのかは分からないが、ここで、心身共に十分休息が取れ、次に目指すはLaPaz、「平和」という名の都市、ボリビアのラパスだ。
出発の朝、ペンションで知り合った人と朝食を食べに、町のカフェに行こうとすると、ペンションで飼っている犬の「サスケ」がついて来た。いつも追いかけられてばかりなので犬は好きではなく、むしろ嫌いなほうだったが、一度、サスケを散歩に連れて行ってからはサスケは犬ではなく、サスケとして接することができた。
そんな気持ちが伝わったのか、朝食後、出発しようと自転車に乗ると追いかけようとしてきた。一緒に食事をした人が「押さえとくから、早く出発して! 今度は日本で会おう!」と言い、こちらも返事をして、サスケの吠える声を振りきるように自転車をこぎ始めた。
これまで旅をしてきて犬と言えば、追いかけられてばかりだったので、嫌な思い出しかなく、犬が大嫌いだったけど、サスケだけは違った。また、サスケに会いにクスコに戻って来るのも良いなあ。
クスコ〜ラパスの間には大きな見所の「チチカカ湖」があり、標高は3890m、富士山よりも高い所に琵琶湖の12倍もある湖が存在して、なんとなく不思議な感じがした。
初めてチチカカ湖を目にしたときの印象はとりあえず青く、神秘的だった。
その昔、インカ帝国の初代皇帝マンコ・カパックが降臨した地、という伝説が残されているが、チチカカ湖を見ていると、疑うことなくそう信じられるのが不思議で、全ての源である「母なる湖」と呼ばれるのが分かる気がする。途中、万年雪を頂いた山々も見え、景色は最高だった。
いつも「なんで、あんなに空が青いんだろう?」と、自問し、その青がそのまま湖に映って湖が青いのか、と思うほど素晴らしく鮮やかに深く青く、あまりにもの素晴らしさに言葉を失って見とれてしまった。まさに神が降り立った地と呼ぶのにふさわしい湖だった・・・。
すでに標高4000m以上の峠を何度も超え、高地には慣れていたけど、本当にここが4000m以上もある高地なのかと何度も疑いたくなるような光景に出会った。目の前に広がっているのは見渡す限りの草原で、この高地に地平線が見え、さらに高い山脈まで存在し、もう訳が分からなくなってきた。
<<世界最高所の首都ラパス>>
ラパスは噂には聞いていたが想像以上にすごいすり鉢状の町だった。大抵の町は小高い丘なんかにお金持ちが住んでいて、下の方に住んでいる庶民を見下ろすといった感じの町の作り方が多いが、ここラパスでは全く逆で、お金持ちはみんな町のど真ん中に住み、貧乏人ほど空気の薄い標高の高い所からお金持ちを見下ろしているという。
なにしろ、このすり鉢状の町では上の方は標高4000m、下の方でも3600mくらいあるそうで、少しでも下の方が空気が濃いわけで、お金持ちが集まるということらしい。確かに近代的な高層ビルは全部下の方に集中していた。ここ、ラパスにも日本人経営のゲストハウスがある。その名も「ゲストハウス・トキ」といい、毎晩、オ−ナ−のトキさんの手作り日本食が食べられるので南米旅行者には有名な宿である。
ラパスに来た目的は日本からの手紙を受け取ることだった。ペル−のリマに引き続き2回目の受け取りだった。「ゲストハウス・トキ」に手紙を送ってもらい、小包は日本大使館宛にしてもらった。早速、トキさんから手紙を受け取るとかなり多くのの人からの手紙があった。手にしたものから順に読んでいき、みんな日本での様子を書いてあり、読むたびに一人でうなずいて、突込みを入れていたりした。リマでもらったときもそうだったけど、やはり、旅先で受け取る手紙ほどうれしいものはなかった。
翌日には大使館の方に行き、小包を取りに行った。出てきたのは小包ではなく小包引換券で、小包は中央郵便局で預かっているというので、中央郵便局へ向かった。小包をもらうと小さなものが一つだけで、間違いではないかと思ったけど、確かに宛名は自分宛になっていた。他のは無いか?と訪ねたが、それしかない、と言われ、とにかくその小さな小包を開けると、カメラの電池だった。
中に「別の小包の方にはいろいろな物を入れたけど、カメラの電池は忘れていたので送っておきます。」という、内容の手紙が入っていて、そのとき「紛失」という言葉が頭をよぎった。このときは紛失というより「盗難」だとしか考えられなかった。税関か?郵便局員か?、どこかで取られたに違いないと決めつけてしまっていて、外国ではそんな話しは別に珍しくもないというので、諦めるしかなかったが諦めきれなかった。
その後、何度か大使館を訪ねたが、結局、一週間ほどラパスに滞在しても、小包は届かなかった。日本に帰ってから分かったことだけど、「ゲストハウス・トキ」を去ってから数日後にトキさんに大使館の方から連絡があり、小包が届いたということだった。受け取れなかったのは残念だったけど、
勝手に「盗難」と決めつけ、一方的にボリビア人を疑ったのはまだまだ心が狭いなあと感じずには入られなかった。
<<ラパスでの出来事>>
町の中でランチを食べ、食後にアイスクリ−ムを食べるのが日課になっていた。コ−ンの大きさは日本のものと同じ位なんだが、その上にこれでもか!っていう位大きなダブルのアイスクリ−ムが乗って、Bs.4.5(日本円で100円程)は激安で、とにかく毎日2つくらいは食べていた。
大きなアイスをやっと食べ終わり、コ−ンの半分くらいになった頃に何処からとも無く、先住民の少女が「チョ−ダイ、チョ−ダイ」と言い寄ってきた。いつものように「ノ−、ノ−」と言ったのだが、やたらとしつこく言ってくるので無視してるとやっと諦めたようだったが、そのときふと考えさせられてしまった。
「なんで、こんなアイスクリ−ムくらいあげなかったんだろう?」今まではそんな気持ちになったことは無く、物乞いに物やお金をあげたことなんて数えるほどしかないのに、このときは何故かいたたまれない気落ちになってしまった。知らないうちに雨が降り始めてしまっていたが、雨の中、いろいろと考えながら黙々とあても無く歩いていた。
このとき程、多くの先住民の親子を見たことも無かったし、真剣に彼らのことを考えたこともなかった気がする。みんなほんとに貧しいが必死に生きているのが
よく分かったし、何かの拍子に笑っていた親子がいたけど、その時の笑顔は印象的だった。
ボリビアが南米の中でも1、2を争う貧しい国なのにラパスの町は比較的裕福な気がした。町の中心ばかりが行動範囲になってしまっていたからかもしれないが自家用車も多いし、気の利いたCafeも多くあり、そしてなによりみんなこざっぱりとした服を着ているのが多かった。そんな中、先住民の姿がやたらと多く目立ち、色あせた民族衣装をまとい、町中の路上で何かしらの物を売って生計を立てているようだった。そんな姿に「裕福さ」ということを考えさせられ、ラパスを後にした。
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