<<アンデス山脈に大名行列?>>

 相変わらず道の状態が悪く、おまけに荷物が重いのも加わってか、パンクを直してもすぐにパンクした。特にこの辺りでは食物のトゲなどもそこら中に落ちていて、まさかそんなものでパンクするはずは無いと思っていたが、そのまさかが現実のものとして起こっていた。
 ただパンク修理するだけならまだましなんだが、刺さるような日差しのもとではそれは灼熱地獄を思わせ、ちょっと前まで肌寒かったのがウソのようだった。さらに、悩まされたのは虫の到来で、その蚊の仲間に刺されると、夜中に突然体中が痒くなり、血が出てくるまで掻いてもかゆみは止まらなかった。おまけに手足はボコボコに腫れてくるし、もうかなり自転車での旅、特にパンクに嫌気がさしていた。

 そんなときに2人連れのライダ−に出会った。ドイツ人のカップルでオ−ストラリア大陸の後、アラスカから南下して来たらしく、ちょっと話して去って行った。さすがにバイクは速く、こっちが悪路と闘っているのに、もう、見えなくなってしまった。この旅がバイクならどんなにか楽だっただろうなあ、などと弱音を吐きながらも、どうすることも出来なくとりあえず、前に進んだ。

 やっとのことで小さな村に着くと、すぐに子供達がやってきた。さっきのライダ−たちの事を聞くと、止まらずに通りすぎて行ったらしく、今日2度目珍客を歓迎してくれているようだった。「冷たいコ−ラが飲みたいんだけど・・・」と、すぐ近くにいた子供に言うと、みんな口ぐちに「ティエネ、コカコ−ラ・エラ−ダ?(冷えたコ−ラはあるか?)」と叫びながら、お店らしき家を一軒一軒尋ねてまわった。その姿が何とも、大名行列のような感じで恥ずかしかったが、嬉しくもあり、やっと、一軒だけ冷たいコ−ラが置いてあるというので、そこで買うことにした。
 期待していた物は別に冷たくは無かったが、みんな必死に叫んでくれ、探してくれた店だったのでおいしくいただくことが出来た。コ−ラを飲みながらいつものようにどこから来たんだ?、どこに行くんだ?、という、質問が始まった。このとき面白いのは大抵子供達が先に話し掛けてきて、大人は話が一段らくした頃になって初めて、そばに寄ってきて話掛けてくる。それほど、うさん臭く、見えるのだろうか?
 こういった、ロ−カルな人々と接することが出来るのも、自転車ならではで良いなあと思いながらも、やっぱりパンクだけには参った!

<<ボ−イスカウト・ペル− クスコ47団>>

 いよいよ、長く大変だったアンデス越えも、目的地のクスコ(インカ帝国の首都)まで残すとこ100kmもない所まで来た。このリマタンボという村でボ−イスカウトが公園の清掃奉仕をしているのに出会い、早速、リ−ダ−らしき人に自分は日本人でロスから自転車で旅していることを伝え、スカウトであることも伝えると、大いに歓迎してくれ、一緒にキャンプをしないか?と誘われ、体調が悪かったので、明日行くと答え、別れた。

 翌日、キャンプ地を訪れてまず思ったのが備品の品祖さだった。そして、規律etc.は日本より甘く、悪く言えばだらしなく、時間も余り有効に利用していないし、ボ−イスカウト活動としては御粗末なのもだった。これは別に悪口を言っているのではなく、第三者の目から見た事実で、彼らを非難するつもりはなく、むしろそんな環境ではあったが、彼らの良い所は元気があり、大声で歌も歌い、活発に遊んでいた。
 彼らに比べると日本のスカウトは物を十分に使いこなせていない気がする。それと自分自身の反省としては大学に入ってからはサ−クル活動に重点を置き、今ほどスカウト活動に参加していなかったので、ロ−プワ−クなどのスカウトとしての技能に欠けていたのが情けなかった。日本に帰ったらスカウト技能を修得し、どんどんスカウトに教えていこう、と決心した。

 どうも、彼らの食事習慣とは合わなかった。というのも、せっかく彼らが用意をしてくれた食事なんだが、昼は普通に空腹感を満たしてくれるのだが、夜はマサモラというゼリ−のような物と、パンが2つ。朝はチョコラテというチョコレ−トをお湯に溶かしたものとパン。これだけの食事で活動に専念できるのだろうか?夜こっそりと、非常食用にいつも持っているビスケットをかじって腹の虫を抑えた。食事を用意してくれるだけでもありがたいのに、まだまだ感謝の心が足りないようだ。後で知ったことだがアンデスなど高地に住む人達は夕食には消化の悪い物を食べると消化できないらしく、質素な夕食になり、昼食をメインにするということだった。

 その晩、焚き火を囲み、みんなで歌ったり踊ったりした。スペイン語が不十分だったがみんな気を使ってくれ、ジェスチャ−などで振りを教えてくれ、楽しかった。ファイヤ−が終わったのは夜中の0:00位でこのへんの時間感覚が理解できなかったが、起床は6:00でこれもまた信じられなかった。でも、スカウトたちは朝から活発に動いていた。眠たくないのだろうか?

 次の日はミリタリ−訓練というものがあるというので、見学だけのつもりがすっかり4人目のリ−ダ−として、準備を手伝うことになってしまった。
 訓練は厳しく、まず藪の中に地面から30〜40cm位のところにジグザグにロ−プを張り、その下をくぐって行き、次に水面から20cmくらいに上のところにロ−プと草で作った橋があり、その下を顔だけ出し川の中を進む。これでもう、全身は水浸しになり、次に待っているのは川を挟んで木にロ−プを吊るしていて、タ−ザンのようにして対岸に渡るというもの。それを過ぎるとブッシュの中の急な斜面を登り、下る。そして最後の関所とも言うべき難関が川の両サイドに一本のロ−プを張り、そこを自力で渡るというものだった。川の流れはかなり速く、落ちたらすぐに流されてしまうので、リ−ダ−はロ−プの下で落ちたスカウトの救助に注意を払わなければならなかった。実際に自分の力だけで渡れたのは小人数だったが、みんな真剣で、終わった後はホッとしていた。吹田2団のスカウトにもぜひ体験させてあげたいプログラムだ。

 クスコ47団のみんなが僕をお客さんとしてではなく、リ−ダ−として受け入れてくれたのは嬉しかった。ボ−イスカウトという活動が世界中に広がっているんだというのを実体験できた出会いだった。

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