<<ユ−スホステルでの年越し>>

 クリスマスをエルバやフェルマン達と過ごし、南米での素敵な思い出がまた増えた。いよいよ出発のときにはさすがに旅立ちにくく、それでもいつまでもお世話になっている訳にもいかず、エルバ家を後にし、次の町アルゼンチン北部では最大の「サルタ」を目指した。

 アルゼンチン北部最大の町・サルタは大きくなかなか目的の所へは辿り着けず、安いホテルもすぐに見つけられそうも無かったのでまずは観光案内所を目指した。観光案内所では安い所は何処だ?と、訪ねると、すぐにユ−スホステルを紹介してくれ、物価を考えると1日$10の出費は仕方ないかとも思い、ユ−スホステルを訪ねることにした。

 そこには何人かの先客がいたがその中に日本人はいなかった。ユ−スホステルの中ではもちろん英語が公用語で、外国では日本人が日本人宿で落ち着けるように、南米を旅する多くの旅行者はこういう所で落ち着くことが出来るのだろう。
 今までず−っとスペイン語ばかりで話していたのにそれがいきなり英語になるとやっぱり戸惑ってしまう。もともと英語を完璧に話せるわけではないので、話しかけられてもすぐに英語がでてこず、周りの外国人にはほとんど英語が話せない日本人だと思われてしまい、英語しか喋れない人からは話しかけられなくなってしまった。だから、多くの人とは喋ることは無かったが、それでも大晦日の日に宿泊客全員で料理を作ってパ−ティ−をしようという事になったときはヒ−ロ−気分を味わう事が出来た。
 というのも、パ−ティ−の料理を作るときに何か手伝う事は無いか?と尋ねたときに、それならサラダを作ってくれ、と言われ、張り切ってオニオンスライス、人参やキャベツのスライスを「トントン・・・・」と、勢いよく音をたててきざんでいると、みんなそれを聞きつけ、どんどんキッチンへやって来て、「スゴイ!!!」、「今日は我々に新しいママが誕生 した。」などと、言いながら、今までおとなしかった日本人が一気に有名になってしまった。日本でアルバイトをしていた経験が役に立ち、「芸が身を立てる」とは当にこの事だと思った。

 いよいよ、カウントダウンをしようというとき、面白い事にまた日本人として皆の注目を浴びた。
「誰か時計を持ってないか?」と誰かが尋ねたときに、すぐに皆の視線を感じ、「それは日本製か?」と聞かれたので、「そうだ。」と答えると、「それが一番正確だ。それでいこう。」なんて言われ、皆も納得した。
心の中では、「なんでやねん!!!」、いくら精巧で狂いなく出来ている日本の時計でも合わせてある時間が適当なら時間も適当で、特に時差とかでまともに時間を合わせた事が無いのにその時計を基準に新年のカウントダウンをしようなんて、ほんと適当というか、まあ、それだけ「日本製」というブランドの威力を見せ付けられた場面ではあったので、嬉しかったのは確かだった。

 「3!・2!!・1!!!・0!!!!、Happy New Year!!!」と、叫び、すぐにキスの嵐が降ってきた。だれかれと構わず、とにかく近くにいる人とキスをするようで、噂では聞いていたので驚きはしなかったが、ほんと皆うれしそうだ。
 日本ではまず、「新年明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。」と、どこか厳かなところがあり、堅苦しいところもあるけど、それに慣れているとその方が正月!って感じがして良いような気もした。やっぱり日本人なのかな−。でも、目新しい新年の迎え方だったので楽しかった。
 
 料理を殆ど食べ尽くした頃、ディスコに行こうということになり、結局、朝まで踊り明かしてしまった。ほんと皆何処にそれだけの体力があるんだというくらい元気で、少し休んでいるとすぐに「どうしたんだ?さあ、踊ろうぜ!」なんて話しかけてきて、「ちょっと休んだらすぐに行くから。」と言うと、しばらくしてまた別の人が誘いに来る。そんな事を繰り返しているうちに朝になっていた。



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