<<雲の電車−Tren a las Nubes>>

 サルタの町は標高が大体1180メ−トル、ここからいよいよ久々の4000m級の峠が待っている。
そしてこれが今回の旅では最後のアンデス越えになると思うと自然と気合が入っているのが分かり、ついつい張り切ってしまう。

 普段はいつ犬が襲ってきても良い様にと、底のしっかりとした革靴で自転車に乗るのだが、今は雨季ということもあり途中の道が水没している所が多く、ビ−チサンダルでのサイクリングとなった。とにかく、暑い。南半球にいるので今の時期は夏、真っ盛りって感じだ。

 峠までの道は悪かったがペル−のナスカ〜クスコに比べたら比較にならない程良く、それにあのときとは違い、タイヤもマウンテンバイク用のものをはかしてあるので心強い。

 この日は運が良く、途中立ち寄った村で小雨が降ってきたので何処か宿は無いか?と尋ねると、「宿はないがサロンならある」と、言われ、「サロン?」ってなんだと思いながら言われるがままに付いて行くと、そこは10×20mくらいの大きな広間で壁際には長椅子と机が置かれてあり、ここはフィエスタでもする所かな、と思えた。
 とにかく有難く、外では雨が激しく降り、雷もなっている。もう少し先へと進んでいると直撃だった。自転車などで旅をしていて雨の中、テントを張るのはほんとに嫌なもので、ちょうどこの村に立ち寄って良かった。

 この広間の隅にはちゃんとトイレもあり、水道もあった。とにかく水道があるのが嬉しく、まずサロンの中にテントを張り、早速夕食の準備を机の上でやり、机があるのもまた嬉しかった。毎日のお決まりのように食後にコ−ヒ−を飲み、日記を書いて寝る事にした。

 ここら辺の山々はいろいろな鉱物を含んでいる為かいろいろな色をしていて、真っ赤な山に白い雲。中には青や緑の山もあり最高にきれいだ。
 今回の旅でちょっと残念なのはカメラで、今持っているカメラの性能ではこの大自然の雄大さを上手く表現できず、もちろん自分自身の撮影能力不足もあるけど・・・、こんな事ならもっと良いカメラを持ってくれば良かったと何度も後悔させられた。

 今進んでいる道と大体平行位に列車の線路があり、その名も「Tren a las Nubes−トレン・ア・ラス・ヌ−ベス−(雲の列車)」で、この一帯での名物になっていて、名前のとおり雲の上まで行く列車らしく、最高所で4400mまで上がるらしい。

 ただ、乾季限定の様で雨季には線路が埋まってしまうらしく列車がでないという。実際、線路が土砂で埋まっているのを見たけど、ほんとに乾季になったらこの土砂をどけて列車が運行するのかな−、と思えるほど線路は土砂に埋もれてた。雨季だから土砂崩れで列車が運行しないなんて、商売熱心な日本では考えられないことだな−と思いながら、ここは南米なんだと自分に言い聞かせた。

 <<子供を誘拐し骸骨を抜き取るインディヘナ>>

 久々の4000m越え。いざ峠についてみるとたった4080メ−トルしか登ってきてなかったのでちょっと残念な気がした。もう少し上ってきた様な気がしたのだったが・・・。それでも久しぶりの4000m級の峠越えで、しかも峠に標高の書いてある看板なんて見た事も無かったのでつい嬉しくなり、看板の横でガッツポ−ズをして写真を撮ってると、対抗車線を上ってきた見知らぬ家族連れからも祝福を受け、意気揚揚となった。久しぶりの4000mの世界だったが全く高山病の心配も無く、勢い良く下り坂を先を急ぐ事にした。

 周りの山々には一切の木々も無くひたすら荒野が続いていて、さっきまで目の前にあった万年雪の山もいつのまにか遥か遠くに見えるようになった頃、突如、眼下に町が現れた。この町を発見したとき、昔ファミコンでドラゴンクエストというゲ−ムをしていて、やっとの事で新しい町に辿り着けた時と全く同じ気持ちになり、自分がゲ−ムの主人公であるかのようなに思え、さらにその町のフインキが全く寂れた鉱山の町のようであり、ゲ−ムの世界を忠実に再現したような錯覚を覚えた。
 さらに町全体がなんとなく元気が無く、標高が高いせいもあって寒々としていたこともその原因の一つだったのかもしれなかった。とりあえず、安そうな宿を見つけ尋ねて見た。やはりアルゼンチンの宿代は高く、こんな部屋でそんなに取るのか?という具合で、旅の資金も残りわずかなので、なんとかならないか?と交渉すると二泊で五食と二回のおやつ付きでどうだ?と言われた。一つ一つの値段を考えると丁度良い具合になったのですぐにOKし、とりあえず部屋に荷物を置き一回目のおやつを頂いた。

 おやつを食べ、フラウラと町の中を散歩するとほんと何も無い様で、あっという間に町を一周してしまっただけで宿の戻り、シャワ−を浴び夕食を食べる事にした。夕食を食べるとき何か飲み物はどうだ?と聞かれ、何にしようかと考えているとすぐにワインを持ってきて仕方なくワインを飲んだ。高地の為か酔いがすぐに回り、たったコップ2杯位のワインしか飲んでないのに部屋に戻るともうフラフラだった。

 夕食を食べているときたぶん宿の主人の息子らしき人がやって来て、いろいろと話しかけてきた。最初は何処から来て何処へ行くんだというお決まりの会話で話が始まったのだが、途中からだんだんとなんか不思議な話しになってきて、その話をまとめると次のようなことになる。

 「最近、この付近で奇妙な事件が起きていて、何でもインディヘナ(先住民)が子供達を誘拐し、その首を切って頭蓋骨を取り出し、若返りの薬を作るらしく、実際この村でも四人の子供が既に誘拐されていて、それを防ぐ為に手を貸して欲しい。」
 と、訳の分からない事を言い出した。

 ボリビアからここに来る途中でも似たような話を一回だけ聞いた事があったので、詳しく教えてくれ、と言うと、丁寧に何度も話をしてくれた。今の時代に子供の首を取って若返りの薬を作るなんて、そんなばかげた話しは無い!、と言ったが、その彼は事実なんだとしつこく言い張り、とにかく手助けをして欲しいらしい。どういう手助けが出来るんだ?聞くと、「それを防ぐ為にお金が必要で、US$30くれるだけで良い」と、言って来た。結局、お金か。呆れて物も言えなかった。とりあえず、「今、現金は無くクレジットカ−ドしか無いから無理だ。」とだけ答え、部屋に戻る事にした。

 ほんといろいろな手口を考えてくるので感心してしまう。本気で聞き入った自分が愚か者の様に思えた。最初に握手をしたときに相手は手を重ねる程度の握手だったので多少の不安を抱いてはいたが、まさかそんな手段でお金をねだってくるとは思いもよらず、いつも、初対面で握手をするときに相手の握り方でその人が信用できるか信用できないかを判断していたがやっぱり確かな判断方法だというのがよ−く分かった。


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