<<エルバおばさんとの出会い>>
ボリビアとの国境の町ビジャソンの標高が3400〜3600mくらいで、そこから徐々に下ってきたんだが、この日は一気に下ることになった。
12月と言えば南半球では丁度、夏だったためか2000mを切り、1600mくらいまで来ると蝉が鳴き始め、周りに生えている木々の植生もどことなく変わってきて、蒸し暑くさえ感じたくらいで、感覚的にはちょうどメキシコのユカタン半島やタイやマレ−シアにいたときのようで、一日の間に冬から春を過ぎ、夏を体験したようで面白かった。
ここサンサルバドル・デ・フフイの町はかなりの大都市で今まで見てきた南米とは大きく異なり、多くの都市でそうであったように建物がヨ−ロッパ調なのは同じでも人々が殆ど全員白人系で、今まで見てきた人種とは全く異なっていて、町のフインキも含め全てが別世界だった。
ヨ−ロッパといえばオ−プンカフェ、そのイメ−ジが強かったのでまずそれを試したくなり、手ごろな店でハンバ−ガ−とコ−ラを頼み、食後にコ−ヒ−でも、と思って大きなパラソルの下でハンバ−ガ−をかじっていると、何処からおばさんが来て話しかけてきた。
「何処から来たの?」
「日本です。」
「日本?ウソ−!じゃあ、どこから自転車で?」
「ロサンゼルス、アメリカ合衆国です。」
「すごい!!!ところで、あなたクリスマスは何処で過ごすの?」
「エッ!?クリスマス?う−ん?たぶん、テントの中です。」
「一人で?」
「ええ、もちろん。」
そのおばさんはちょっと間を置いて、
「それなら、家に来なさいよ。クリスマスはヘスス(イエス・キリスト)様がお生まれになった日よ。それを一人で過ごすなんて、駄目だわ。」
と言い、テ−ブルの上にあった紙ナフキンに家までの地図を書いて、去って行った。
う−ん、クリスマスの日に一人で過ごすのってそんなに駄目なことなんかなあ?と考えながらも、南米のクリスマスパ−ティ−にはかなり興味があり、遠慮なくお邪魔することにした。
住所に書かれてある通りに進むと、だんだん町から離れて行って、しまいには丘のほうにまで続いていた。丘のふもとのキオスクで住所の書いてあった紙を見せると、一人の男がもう片方の男にスペイン語で何やら喋っている。その男はうさんくさそうな奴を見るかのようにこっちを見て、「この住所の名前って、お前のお母さんの名前じゃないのか?」というようなことを言っていた。まだまだ、完全にスペイン語を理解できるわけではなかったので確かなことは分からなかったが、確かにそんな風に聞こえた。「ああ、そうだ」とその男は答え、今度はこっちに向かって「目の前の道をずっと上って行け」と、それだけを言って作業を続けていた。「グラシアス(ありがとう)」と言い、目の前の急な坂道を必死にペダルをこいだ。
坂を上り詰めた所のレストランっぽい所の前に何人かの人がいたのでまた例の紙ナフキンを見せ、道を聞いた。
「そこなら知ってるので案内してやろう。でも、その前にちょっと時間良いかな?」と言われ、これでやっと辿り着けると思っていたら、なんとそこには丁度FMラジオの生放送の出張に来ていて、ちょっと喋ってくれないか?と、いきなりのラジオ出演の依頼を受
けた。「まだ、そんなにスペイン語が喋れないけど・・・」と言うと、「大丈夫、そんだけ喋ってたら問題ないよ!」という返事が返ってきて、ラジオでちょっと紹介され、早速マイクを向けられた。
初めてのラジオ出演がアルゼンチンでそれもスペイン語でなんて、かなり緊張したけど、幸い質問されたことは普段よく喋っていることだけだったのでなんとか答えることは出来た。すでに新聞とラジオは済んだので、あとはどっかでテレビにでも出演できないかな−、なんていう甘い考えをちょっと抱いていた。
約束通りエルバおばさんの家まで案内してもらい、エルバおばさんと再会できた。チャイムを押すとまず2匹の犬が出迎えてくれ、続いてエルバおばさんが出てきた。
「オオ!ほんとに来てくれたのね。さあ、早く中へ!」
と、中へ通され、クッキ−と紅茶を出してくれた。
エルバは熱心なカトリックでいつも話しの節々にイエス・キリストの話が出てくる。聖書を持ってるか?と訪ねられ、持ってないと答えるとなんでだ?なんて聞かれ、仏教徒だからだと答えたけど、聖書を取り出し、クリスマスについての話をし始めた。日本ではクリスマスはどうするんだと聞かれ、パ−ティ−をすると言うと、仏教徒も?なんていう質問が返ってくる。その辺の事情は日本に住んでみないとなかなか分からない事情だし、説明するのも難しいのであんまりスペイン語が分からない振りをして、ごまかした。
一方的なキリスト教の説教にいよいよ疲れてきた頃にエルバもそういう気配を察したのかテレビにスイッチを入れ、お茶を入れなおしにキッチンの方へと去って行った。小学生の頃だったと思うけど「風雲・たけし城」という番組をやっていたが、それと殆ど全く同じようなものを放映していて、そのことをエルバに言うと、アルゼンチンには日本から多くの番組プロデュ−サ−が来ているとのことだった。
夜になると、エルバの息子が帰って来た。やっぱりさっきここに来る途中のキオスクにいた若者だった。名前はフェルマンと言い、初対面だったのに妙に話が盛りあがり、明日の夜に友達とフィエスタに行くから明日もここに泊まっていけと言われ、その日はぐっすりと眠れた。このときまさかここで一週間以上も滞在することになるなんて夢にも思わなかった。
<<フェルマン一家>>
夕方いつものようにバイクの音が近づいてくると「シンイチ、フェルマンが帰ってきたよ!」と伝えに来る。それも満面の笑みで。エルバは旦那さんと別居暮らしで今の唯一の同居者のフェルマンが帰ってくるのが本当にうれしそうだ。
フェルマンは大工でフェルマンの父親の会社で働いていて、フェルマンはほぼ毎日会っているらしいが、エルバはもう長らく会っていないらしい。
一度、父親の家に遊びに連れてってもらったとき、フェルマンの新しいお母さんに会うことができたが、凄く感じの良い人で気さくな人だった。
初対面でありながら全くそんなことを感じさせず、これはこの新しいお母さんに限ったことではなく、このフフイという町で知り合った皆について言え、何故か前から知り合いでもあるかのような錯覚を感じさせられた。全くの異国から来た見知らない者にここまで親切に思いやりのある対応というのを、自分に置き換えた場合に出来るかと考えるとたぶん無理だと思う。でも出会ったアルゼンチン人の多くがそういう対応をしてくれ、いつの日にかまたこのフフイという町に来よう、と思わずにはいられなかった。
ただ、フェルマンに関してはまた別の事情があるみたいで、というのも、フェルマンの友人に聞いた話だがフェルマンには昔、結婚を意識していた彼女がいたらしいが彼女の家族が大工をやってるフェルマンは頭が悪いと決めつけ、猛反対し無理やり別れさせ、今は外科医と見合いをさせたという。その彼女も親のいいつけで仕方なしにその外科医と付き合っているらしいが心の中ではフェルマンを思っているらしく、フェルマンはその気持ちも知っていて、彼女の妹を通じて連絡を取っているらしいが2人の仲が上手くいくというのは難しいらしい。フェルマンはめちゃくちゃ良い奴だと思っていたら、実はそんな事情があり、その悲しみを紛らわす為にいつも笑っている。
今の日本ではテレビドラマに出て来そうな話しだが、アルゼンチンでは今だ給料の未払いが日常茶飯事的にあるくらい経済にゆとりが無く、富を得るにはそんな策略結婚みたいなものがまかり通っているところがあるらしい。
普通に旅をしているだけではなかなか分からない国情というものを垣間見た気がした。いつか、フェルマンとその彼女が結ばれれば良いのに・・・。
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