<<ワインの国アルゼンチンへ・・・>>
日本帰国予定の3月まであと、3ヶ月。ここまでゆっくりしすぎたようでもうこれからはのんびりとはしてられない。もう、アンデスは十分走ったし、季節も雨季なのでボリビア国内を走ることは断念した。
バスで一路アルゼンチンとの国境の町、ビジャソンを目指した。途中、何度もパンクし大幅に到着予定時刻が遅れ、結局40時間くらいバスに乗っていることになった。もう、ヘトヘトになりすぐ近くにあったホテルに部屋を取って、一日ゆっくりと休養を取った。
もう、すぐ目の前はアルゼンチンでいよいよかと、胸の高まりを押さえることが出来ずに、明日すぐに国境を超えれるようにと下見がてら国境まで歩いていき、イミグレ−ションの位置を確認し、帰りに物価の安いボリビア側で残ったお金でいろいろと買い足して、出発に備えた。
翌朝、無事国境を越えると目の前に大きな看板があった。
『USUAIA(ウスアイア)まで○○km』
何kmだったかは忘れてしまったけど、確か4500kmくらいの気が遠くなりそうな距離表示だったけどいよいよ旅の最終目的地・地の果てのウスアイアという文字を見たときはボルテ−ジが上がっていくのが分かった。
アルゼンチンに入ると町のフインキがガラッと変わった。ボリビアではあんまりお目にかかれなかったヨ−ロッパ系の人が多く、町もきれいな感じがして、やはり南米内でも物価が高くて有名なアルゼンチンと物価の安いボリビアとの格差は至るところで目に付いた。
そんな中で特に嬉しかったのはどんな田舎の商店に行っても冷蔵庫の中でよく冷えた飲み物を買えることだった。もちろんその反面、物価の上昇もそれだけ半端なものではなかった。国境の町からはず−っと下りっぽい道で気持ちがよく、この頃には日が沈むのも夜の9:00くらいだったので、つい走りすぎてしまう。又、キャンプ場も多くあり、物価が高い分そういう面で節約が出来きたのは嬉しかった。
ある町にたどり着いたとき、その町にはホテルが無いことは判っていたがずうずうしくも軍隊の施設の入り口にいた兵士に質問した。
「この町にホテルはないか?」
「う−ん、この町にはホテルは無かったな−。」
「それなら、キャンプ場は?」
「う−ん、キャンプ場もないな−」
「オッケ−、それなら、どこかキャンプ出来る所、テント張れる場所はないか?」
「お前は今日はこの町で泊まりたいのか?」
「ああ、そうなんだ。今日はもう疲れたからこの町で休みたいんだ。」
「ヨシ!分かった。じゃあ、ここに泊まれば良い。ちょっとここで待っとけ。すぐに戻ってくる。」
そう言い残しその兵士は去って行き、またすぐに戻ってきた。
「今日はここで眠れるぞ。さあ、中に入ろう。」
と言われ、中に通してもらい、てっきりテントを張れるだけのスペ−スを貸してくれるのかと思っていたら、なんと部屋を一部屋貸してくれ、シャワ−も自由に使って良いとのことだった。
それにしてもこうも簡単に軍隊の施設に宿泊できるなんて思ってもいなかった。寝る所が無く、警察署や軍の施設で寝たというのは、過去に自転車で旅をした人の本の中で読んでいて知識としてはあり、いつか自分でもやってみようとは思ってはいたけど、まさかほんとに泊まることになるとは。さすがなんでもおおざっぱな南米。日本では自衛隊の施設なんかにはなかなか入れないし、入れるのは見学のツア−に参加するか、防衛大学の入試のときくらいで、それに旅人というわけの分からない奴を一晩泊めるなんてことはありえないことだろう。
部屋に入って荷物を整理してると、すぐに何人かが物珍しそうにやって来て、いろいろと質問攻めにあった。いつものように聞いてくることはまず名前はなんだ?何処から来たんだ?何処へ行くんだ?など、同じことばかりなので既にそういうことに関してはすらすらとスペイン語で答えられるようになっていた。あまりにもすらすらと答えるのでお前はほんとに日本人か?と聞かれる始末。そんなに日本人離れした顔なのかなあ?と自問自答していた。
夜、ここに案内してくれた兵士から買いものに行くから一緒に行かないか?と誘われ、ついて行くことにした。何でもその夜はアサ−ドというアルゼンチン名物の言ってみれば焼肉をするのでその買出しらしい。
アルゼンチンのアサ−ドは日本の焼肉のように小さく切った肉を焼くのではなく、大きな塊で買ってきた肉をステ−キ感覚で切り、その塊を一人が何個も食べるというものだった。噂には聞いていたが実際に目の前で見て、そういう場に参加すると大飯食らいのサイクリストとしてはなんともありがたいもので、思いっきり腹がいっぱいになるまで食べ、たらふくワインを飲むことが出来、至福の喜びを感じた。
この辺りから自分から進んでワインを飲むようになったのかもしれない。日本では殆ど飲んでいなかったし、これまででもペル−なんかで何度もチャレンジしたがいつも下痢になっていて、身体に合わないのかもとさえ思っていたほどだったのに。
翌朝、そこを出るときにこの町の新聞に載せるからと記念撮影をし、新聞に載せてもらえるだけでもありがたいのに、おまけにたった一晩お世話になっただけなのに餞別までくれた。
ほんとはこちらからなにかお礼を差し上げるべきなのに、こちらからしたことと言えば、日本から持って行っていた絵葉書に兵士たち一人一人の名前を漢字で書いてあげたくらいだったので、ほんとに申し訳無かったけど、ありがたかった。
ただ、さすがワインの国・アルゼンチンだと思ったのは餞別がビ−ルの大ビンよりも大きな大きさのシャンパンで、走っていて疲れたらこれを飲んで休め、ということらしい。
そのあと彼らに別れを告げ、さらに南を目指してペダルをこいだ。彼らに言われた通りに一回目の休憩のときに早速シャンパンのふたを飛ばした。勢いよく出てきたシャンパンを口に含み、アルゼンチンでの幸先の良い出会いに涙が込み上げてきた。
どうも最近は何にでもすぐに感動し、涙が出てきて困る。行く先々で出会った人々の応援でここまで旅してこれたんだなあとつくづく思いがら涙を拭い、再び自転車にまたがった。
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