<<1997年2月28日(金曜日) 20:15>>

 やっと着いた!!!世界最南端の町・Ushuaia!!!9ヶ月の旅も、もう終わりだ。あとは日本に帰るのみ。

 朝、キャンプ最後の朝焼けに目が覚め、コ−ヒ−を飲みながらしばらく眺めていると朝日が昇った。旅の途中で頂いた日本語の文庫本を読み、コ−ヒ−を3杯も沸かした。最後の朝は夜があける前に目が覚めたにもかかわらず、出発は9:00を廻っていた。

 情報ではウスアイアの手前50kmほどから上りだというので心の準備はしていたのに、全く余裕だった。途中にある水場(山の斜面から流れ出ているもの)で歯磨きをしたり、顔を洗ったりもした。何かにつけてはゴ−ルに着くのを引き伸ばそうとしていたのかもしれない。今までで朝から本を読んだりしたことなんかもなかったことだ。

 いよいよウスアイアの手前6〜7kmほどに着いたときに、道路工事をしていたおっちゃんの一人が「着いたぞ!!!」と叫んだ。もちろんスペイン語だったが言葉の意味は理解できその途端に涙が出てきて、とうとうここまで来たんだ!と、叫ばずにはいられなかった。
 目の前にはあいにくの小雨交じりの天候の為か黒くて寂しい色をしたビ−グル水道が静かに横たわっていた。

 ウスアイアの町に入り、何か記念撮影できるところを探したが見つからなかったので、観光案内所へ向かった。そこで今までの旅のことを簡単に説明し記念撮影するのに良い場所を尋ねるとそれなら、ということですぐに場所を紹介してくれた。

 言われた場所に行くと小さな看板に「ようこそ!!!Ushuaiaへ」と書かれてあり、これが旅の終着記念の撮影かと思うと、なんか物足りなかったが、ほかに良い場所も見つからなかったので仕方が無い。
 記念撮影をしているとアルゼンチン人のおっちゃんが来て、「どこから来たんだ?」と聞かれ、簡単に今までのル−トを説明すると手に持っていたビ−ルを差し出してくれ、一口飲んだ。その一口が全身の隅々にまで行き渡る感じがして、「ウマイ!!!」と自然と口から出た。

 宿は予定通りの1泊$10ペソの宿に行った。アルゼンチンペソはアメリカドルとほぼ同じなので、ほとんどの店でどちらの紙幣も使えるのは良いけど、1泊US$10は厳しかった。宿自体はシャワ−、キッチン、ベッドとどれをとっても全て十分過ぎるくらいでこれでUS$10ならなんか得した気分だ。

 まず、シャワ−を浴び直ぐにここを立つチケットを探しに行った。いろいろな方法を考えたが手元にあるキャッシュとカ−ドを考えてみると、ほんとに厳しい。あちこちの旅行代理店を尋ね、値段チェックをして、結局3月3日(月)のAM3:00発のプンタ・アレ−ナス行きのバスのチケットを購入した。バスのチケットはカ−ドでは買えず、手元にUS$200くらいしかないうちのUS$48も手放してしまった。おまけにこの町に3泊も足止めだ。もう、仕方の無いことだけど・・・。
 チケットを無事に買えた後はふらふらと散歩してス−パ−で肉と野菜を買って宿へ帰った。気が付くともう天気も良くなり、どうもウスアイアの町に着いた時だけ雨が降っていたようで、ついてないというか天も旅の終わりに涙を流してくれたのかと思うと、なんか嬉しくなってきた。

 ここウスアイアに来た記念に「地の果て博物館」行った。この博物館はウスアイアを訪ねた旅人はみんな行きそこで記念スタンプを押してもらうらしい。イ−スタ−島のモアイ、ガラパゴスの亀、そして地の果て博物館のスタンプと南米3大スタンプのうち一つしか手に入れることが出来なかったけど、もう、満足だった。メッセ−ジノ−トなんかもあり、普段は読むだけなのにここではメッセ−ジを残してきた。やっぱり嬉しかったんだと思う。


次へ続く | Fogata号の軌跡目次へ

ご感想・ご意見・ご質問等はこちらへ