<<アンデス山脈縦走>>
いよいよ待ちに待っていたアンデス山脈縦走が始まった。
まずは標高2800mのキトから始まったのだが、キトの町から出るのにひたすら上りだった。たいした勾配ではなかったがだらだらと続いたのが疲れたが、その後は一気に爽快な下りでこれがあるから自転車はやめられない。
昼過ぎから雨が降ってきた。この雨が次第に氷に変わり、それも激しくなっていく一方で、やむ気配をみせなかった。俗に言うスコ−ルの雨が氷になって、降ってきているという状態だった。
エクアドルは物価が安いので三食レストランで食事をして、ホテルに泊まっても一日¥1000とかからなかった。
そのため、途中どこかで定食でも食べるつもりだったので食料を買っていなかったのは失敗だった。雨やら氷やらが降る中、ず−っと上りで、それにもまして、店もなく腹が減って思うように力が出せず、自転車にまたぐこともできずに押しているうちに、やっと下りになったと思い自転車にまたがったが全然前に進まなかった。
おかしいと思いながらもこいでいると信じられない光景に出会った。なんと、雨水が進行方向とは逆に流れていて、ず−っと下りだと思っていたの実はまだ上り続けていたのだった。
なん とも不思議な光景だったが、どう見ても下っているようにしか見えない。でも、実際は上っている。多分、ずっと勾配のきつい上りで、やっと勾配が緩やかになった頃には感覚が麻痺していて、緩やかな上りが下りに感じられたんだと思う。
そうこうしているうちに前の方にほったて小屋が見えた。どうも飯が食えそうな所だったので、迷わずに中へ入った。やっぱり飯屋で、とりあえず腹が減っているので何か食わせてくれと言うと、すぐに飯が出てきた。
せっかくありついた飯だったのだが、いくら腹が減っていても食が進むような代物ではなかった。だが、次はいつ食えるのかが分からなかったので、ここで無理をしてでも食べておかないと駄目だと思い、無理やり腹の中へ押し込んだ。その食堂のおばちゃんによると、あと一キロも行くと下りになるらしい。
ただ、この先しばらくはホテルなどはなくどこかキャンプできる所を探さないと駄目だった。雨がまだ止みそうにはなかったが、どうせ既にずぶ濡れになっているし、少しでも距離を稼ごうとそのほったて小屋を後にすると、情報通りに下りになった。かなり長い下りに思えた。どうやら峠は越えたようだった。
このときから多少の高山病の症状らしきものが現われていた。
暗くなる前にキャンプ地を探すつもりだったが、道の両サイドには柵がしてあり、なかなか良いところが見つからず、途中、検問をしていたポリスをつかまえて、駄目だとは思いながらもこの先の町に、ホテルはないかと尋ねた。あわよくば、警察署のようなところにでも紹介してもらえればという、ひそかな期待もあってのことだった。するとここから5キロ程行った町にホテルらしきものがあるとのことだった。
今日みたいにひどく雨に打たれた日には宿に泊まり、熱いシャワ−でもあび、ビ−ルを飲んで思いっきり飯を食い、暖かいベッドで熟睡すれば、翌日はまた新鮮な気持ちで走り始めることができる。だから、どうしてもホテルに泊まりたく、その言葉を信じ、期待して先を急いだのだったが、言われた5キロ程を進んだところにあったのは町というよりは村で、それもとうていホテルなどなさそうな村だった。
不安になってその辺を歩いていた若者にホテルの存在を確認すると、そんなものは無いと言われ、愕然とした。もう、辺りは暗くなってきていてキャンプする場所を探すには少し厳しかった。とりあえず、どこかのレストランで飯
でも食い、そのままそのレストランにお世話になるか、もしくはその庭にでもテントを張らしてもらおうと考えていた。
なんとか一件のレストランがあり、そこを尋ねると、まず子供たちが出てきてその店の主人らしき人を呼びにいってくれた。その主人らしき人はベッドがあるからそこで寝たら良い、と言ってくれ、中へ通してくれた。レストランの客間の奥にあるベッドの置いてある部屋に通された。
まず、ビ−ルを飲み、飯を食った。クリ−ムシチュ−のようなものでパンが食べ放題で思いっきり食べることができ、シャワ−は浴びれなかったものの温かいベッドに感動して眠りについた。地獄の中に仏ありとは正にこのことだった。
<<地獄の中の仏?、ではなく鬼だった。>>
翌朝、目が覚めると、心地良い朝日がカ−テンのすき間から差し込んでいた。気分は爽快だったが、体は完全復活とは言えない。夜中じゅう肺と肺の間が痛くて痛くて、何度も目が覚め、その度にもうろうとした意識の中、不安な気持ちを抑えるのが大変だった。
「これが噂には聞いていた高山病か? このまま朝になっても直らなければ、どうしようか? 自転車での旅では、ゆっくりと山を上っていくので滅多に高山病にはならないはずなのに、何故だ?」、
というようなことを何度も何度も繰り返し、自問していた。そんな夜を過ごしたので、余計にその朝日がまぶしかったのだと思う。やはり、標高の高いところでのサイクリングは体に大きな負担がかかるようだ。
朝食後、朝食代を払おうといくらか尋ねたら、「トレインタ」と、言われ、「エッ!?」と、驚いた。というのも、『トレインタ』というと30000ス−クレのことで約$9くらいだ。エクアドルではたいてい$2〜3あれば十分満足のいく宿に泊まれるし、だいたい一日当たり、$6〜8程度で生活していたので納得がいかなかった。でも、すでに夕食、朝食を食べ、それに一泊した後だったのでしかたなしに払った。
やはり、現地での生活が長くなるとどうも駄目だ。かなりのけちり癖がついてきている。日本円に換算するとたいした金額ではないのだし、彼等も生活のためにやっていることなんだ割り切ってしまえば良いというのは分かっていても、足元を見たやり方には腹の虫が治まらなかった。
そんな朝の出発だったが、この日は快適なサイクリングができた。たぶん、昼食もちゃんと食べて、途中、コ−ヒ−タイムもとった為だと思う。
それと何よりも、雪をかぶった山を目のあたりにして走っていたのがもっともな原因だったと思う。
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