<<悪名高いコロンビア>>
コロンビアを走るための情報を手にいれようと、日本大使館を訪れた。やはり、その国のことはその国の大使館を訪れるのがいい。治安などの問題に日本語で答えてくれる。
早速、自転車で走ることについてどうか?と尋ねると、
「自転車でなんて、とんでもない!!! 今すぐこの国から出ていってください。この国は観光旅行自粛規制が出ているんですよ! 本来、観光旅行で来る時期ではないんです。長距離バスも危ないので飛行機で出ていってください。
もし、今、日本人がひとりでも殺されたりでもしたら、我々政府関係者もこの国から撤退しなければなりません。とにかく、一刻も早く出ていってください。大きな南米を走る上で、コロンビアを走らなくてもあなたの旅の価値が下がるとは思えません。
コロンビアでは強盗程度では済まず、誘拐ということになるんです。そうなったときのことを考えて早くこの国から出て行ってください。いつかきっと自転車で走れるようになる日がきます。そのときに走ればいいじゃないですか。」
と、いきなりこの国から出て行ってくれと言われた。
コロンビア内を自転車で走るというのが危険だとは思っていたが、それほどまでだとは思ってもいなかった。結局、悩んだ末、コロンビア内はバスで抜けようと決めた。
ニュ−スなどを見ていても国内のゲリラ活動や、政府と住民との間でのコカインをめぐっての銃撃戦などの放映ばかりで、ますますコロンビアを自転車で走ることの厳しさを思い知らされた。
しかし、このままボコタだけでコロンビアという国を抜けるのも惜しい気がしていたし、ペンションにいた古橋さんという二年間コロンビアの大学に通っていた人がいて、その友達を紹介してくれるというので、そこへ行くことにした。ボコタから200キロくらい離れたところにあり、そこまで自転車で行こうとも考えたが、ボコタのまわりが特に危険だと言われバスでの移動にした。
2週間、十分にボコタの街を楽しみ、いよいよ、出発だ。
朝、出発の時、何人かの人達が見送りに出てくれ、[Ibague(イバゲ)]に向けバスは出発した。
<<ホ−ムステイ イン イバゲ>>
イバゲに着き、早速、教えられた住所と地図を頼りに古橋さんの友達の家を探した。すでに昨日のうちに電話で、行くことは伝えてあったので心強い。
何度か人に聞いてやっとその家を見つけだし、ベルを押すとおばさんが出てきて、「待っていた」というようなことを言って、中に通してくれた。
まだあまりスペイン語を話せなかったのと、ほとんど初めてに近いホ−ムステイということ、そして、そこにいた人たちは英語を喋れなかったのでスペイン語の辞書を片手に持っての会話で、ほとんど言葉が出てこず、つくづくスペイン語の勉強不足を痛感させられた。
夜、10:00くらいになってようやく、古橋さんの友達のAURA(アウラ)が帰ってきて英語での会話が始まった。彼女はなんと大学で日本語も勉強していて、少しだけど日本語も分かり、かなりのコミュニケ−ションがとれた。その夜は緊張からの解放によるためか、それとも、ハンモックの心地よい揺れのためか、ゆっくりと熟睡できた。
翌日、目が覚めたころにはすでにアウラの姿はなく、どこにいったのかと思っているとアルバイトに出かけたということだった。
とりあえず、特にすることもなかったのでスペイン語の勉強をすることにした。このころから本格的に勉強をやり始めた。
昼ごろにアウラの大学で日本語を教えているという松本さんが迎えに来た。昨日のうちにそういう打ち合わせをしていて、一緒に大学に行くことになっていた。
松本さんの奥さんはコロンビア人で、そのためコロンビアに住んでいるとのことだが、今はまだ定職がなく学生の身分だ。ただ、学生といっても普通の学生とは異なり、タダで講義を受ける代わりにタダで日本語の講義をするということらしい。だから松本さんの日本語の講義は単位としては認められないが、それでも日本語を学びたいという学生ばかりなので授業中はみんな真剣だった。
コロンビアの国立大学では授業料は成績別にランクがあり、優秀な学生ほど少なくていいというシステムらしく、このシステムはぜひ日本にも取り入れてもらいたい。それと近くに、松本さんはいよいよ本格的に講師としての道を歩むらしく、二つの他大学から日本語の教師として招かれているとのことだ。ど
うも、イバゲでは日本語がちょっとしたブ−ム?のようだ。
<<Fiesta!!!>>
ラテン系の人々はダンスが好きだとは聞いていたがこれほどだとは思わなかった。夕方、アウラの姉の家に行ったのだが、音楽がかかっていてしばらくするとみんな踊り始めた。踊るのに理由はいらないようだ。というか、どんなことでも理由にして踊っているかのように思える。音楽=ダンスという式が成り立っているとしか思えない。
『Fiesta(フィエスタ)』というのは『お祭り、パ−ティ』などという意味だがいつでもフィエスタだ。
コロンビアではロン(ラム酒:カリブ海地方のきついお酒)やアグアルディアンテ(焼酎)が有名で足がフラフラになるまで飲み、そして踊った。『サルサ』や『メレンゲ』といったカリブ海地方の踊りも、ステップに慣れるまではなかなか難しい。それでも、たとえ上手く踊れなくても周りのみんなが教えてくれ、それらしき形になってくるので楽しい。
アウラの友達のLLENIRY(ジェニリィ−)の家でもフィエスタがあり、ジェニリィ−のお母さんがまた良い人で結局、彼女の家にも泊めてもらうことになった。ジェニリィ−も朝からアルバイトに出かけ、昼ごろに帰ってきて昼食を食べ、すぐに大学に行くという生活を送っている。アウラにしてもジェニリィ−にしてもハ−ドな生活の中、ほとんど見ず知らずの人に十分過ぎるくらいのいろいろな世話をやいてくれた。もう、感謝のしようがないほどだ。
イバゲには一週間くらい滞在し、いろいろな人のお世話になった。特に、アウラ、ジェニリィ−そして松本さん。イバゲを出発する前夜にジェニリィ−の家でテレビを見ていると、どうも国境付近で7人くらいが殺されたらしく、国境の町までバスで行く予定だと言うと、その場にいた人全員がエクアドルの[Quito(キト)]までバスで行ったほうが良い、と言った。国境付近は危険らしい。
<<ジェニリィ−の言ったひとこと>>
いよいよ、出発。
とりあえず、国境の町[Ipiares(イピアレス)]を目指す。予定では19時間らしい。飛行機に乗った方が安全で早いが、バスに比べるとUS$100も高いので諦めざるをえなかった。
バスタ−ミナルにはアウラ、ジェニリィ−そして松本さんが見送りに来てくれて、このときの別れはこの旅が始まって以来の涙が溢れてきた別れだった。別れ際に一週間の食事代としてほんの少しだがお礼をしようと思ったが、普通に渡しても受け取ってくれないと思い、手紙の中に入れ後で読んでほしいと言い残し、バスに乗り込んだ。イバゲでの楽しい思いでを振り返りながらバスの発車を待っていると、バスの発車寸前に二人が乗り込んで来て、
「ノ−、ノ−、あなたにはお金が必要よ!!!」と、言って、渡したものを置いて去って行った。そして、バスが発車した。もう、どうしようもなく涙が込み上げてきて、おさえることができなかった。『イバゲ』、本当にいい町で、多くのいい人達に出会った。
コロンビアという国は中南米諸国の中では珍しく、中産階級のある国だというが、やはり貧富の差も激しく、今なおゲリラ活動が行われている。たまたま何事にも巻き込まれることなく無事に過ぎることができたが、事件に巻き込まれ何らかの被害に逢っている日本人も多い。
旅立つ前の夜、ジェニリィ−が言っていた。
「コロンビア人は世界的に悪名が高く、何処にいくにもビザがいる。私たちは何もしていないし、普通なのに。」
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